ズートピア2の評価は?前作との違いと“賛否が分かれる理由”を解説

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あの街に、もう一度帰れると思っていた。
エンドロールが流れたあとも、
私の中には、確かにそんな期待が残っていた。

けれどスクリーンに映ったズートピアは、
記憶の中のそれよりも、ほんの少しだけ空気が重く、
どこか深呼吸を忘れてしまった街のように見えた。

決して荒れているわけではない。
秩序は保たれ、言葉も整っている。
それでも、「もう大丈夫」と言い切れない感覚だけが、
静かに胸に残った。

『ズートピア2』は、前作の成功体験をなぞるための続編ではありません。
むしろこの映画は、観る側の心にそっと手を伸ばし、
「私たちは本当に変われたのだろうか」
と問いを返してくる作品です。

私はこれまで、
社会的テーマを扱う映画やアニメを数多く観てきました。
そこにはたいてい、
「乗り越えた」「克服した」「理解し合えた」という
わかりやすい到達点があります。

けれど現実はどうでしょう。
差別や分断は、一度“解決した”としても、
時間が経てば、形を変えてまた顔を出します。
そして私たちは、そのたびに迷い、言葉を選び、
ときに沈黙してしまう。

ズートピア2が描いているのは、
まさにその「解決したはずのあとに残る感情」です。

だからこそ、この映画の評価はきれいに割れます。
前作の爽快さやカタルシスを求めていた人ほど、
「思っていた続編と違う」と感じるかもしれません。

一方で、
社会の中で働き、人間関係に悩み、
「正しさ」だけでは前に進めなかった経験がある人には、
この続編はとても静かに、深く刺さってくるはずです。

この記事ではネタバレを避けながら、
次のポイントを丁寧に整理していきます。

  • ズートピア2の全体的な評価は高いのか、それとも低いのか
  • なぜ「良かった」という声と「期待外れだった」という声が分かれるのか
  • 前作と何が変わり、何があえて変えられなかったのか

映画を観る前に迷っている方も、
すでに観終えて言葉にできない違和感を抱えている方も、
ここを読み終える頃には、
「この映画は、自分にとってどういう作品だったのか」
を、静かに考えられるようになるはずです。


ズートピア2の評価は高い?低い?【結論まとめ】

まず結論からお伝えすると、
ズートピア2は決して評価の低い作品ではありません。
ただし、「誰にでも同じ温度で刺さる映画ではない」
というのが、最も正確な位置づけだと感じています。

私自身、これまで数え切れないほどの続編映画を観てきましたが、
評価が割れる作品には、ある共通点があります。
それは、前作で与えた“安心”を、あえて手放しているということです。

ズートピア2も、まさにそのタイプでした。
前作の明るさや爽快感を心に残したまま劇場に足を運んだ人ほど、
「思っていた続編と違う」と戸惑うのは、ある意味自然な反応です。

一方で、社会の中で働き、
正しさだけでは物事が進まない場面を何度も経験してきた大人や、
物語の“余白”を味わうことに慣れている観客からは、
「ここまで踏み込んだ続編は珍しい」という声も多く聞かれます。

評価が分かれる最大の理由は、とてもシンプルです。
この映画は、わかりやすい正解や結論を用意していないから。

脚本の構造としても、
問題が明確に「解決された」と感じられる瞬間は、意図的に避けられています。
そのため、観終わった直後に残るのは、
達成感よりも、小さな問いです。

「これは良かったのだろうか」
「自分は、どう感じたのだろうか」

ズートピア2の評価は、
その問いにどう向き合うかで、大きく変わります。
答えをすぐに欲しい人には、少し不親切で、
考え続けることを厭わない人には、
とても誠実な映画だと言えるでしょう。


ズートピア2のあらすじ(ネタバレなし)

舞台は、前作の出来事から少し時間が経ったズートピア。
多様な動物たちが共に暮らすこの街は、
一見すると以前よりも整い、秩序だった場所になったように見えます。

制度は見直され、言葉遣いは慎重になり、
「差別はいけないことだ」という共通認識も、
街全体に行き渡っているように感じられます。

けれど、その整然とした風景を眺めていると、
私はどこか、張りつめた静けさを覚えました。
問題が消えたというより、
声を潜めて、奥へ押し込められたような感覚です。

警察官として働くジュディとニックも、
それぞれの立場で、この街と向き合い続けています。
前作のような高揚感はありませんが、
その分、二人の表情には経験を重ねた重みが宿っています。

そんな日常の中で起きる、ある出来事。
それは大きな事件というより、
「誰の身にも起こり得る、ささやかなズレ」から始まります。

そのズレをきっかけに、二人は次第に、
「正しい行動が、必ずしも正しい結果を生まない」
という現実に直面していきます。

脚本として興味深いのは、
この物語が“明確な悪”を早々に提示しないことです。
善意と善意がぶつかり合い、
正しさと正しさがすれ違っていく。

ズートピア2は、
事件を追うサスペンスとして進みながらも、
その奥で、

信頼が揺らぐ瞬間、分断が生まれる気配、
そして言葉を失ったときの沈黙

といった感情を、丁寧にすくい上げていきます。

派手な展開よりも、
心の中に小さな違和感を残すことを選んだ物語。
このあらすじだけでも、
前作とは少し違う温度の映画であることが、
伝わってくるはずです。


前作『ズートピア』との違いは?雰囲気が変わった理由

前作『ズートピア』は、
差別や偏見というとても重いテーマを扱いながらも、
観終わったあとに、はっきりとした光を残す映画でした。

物語には明確な対立軸があり、
誰が何を乗り越えるべきなのかが、
観客にもわかりやすく提示されていました。

だからこそラストには、
「変われる」「理解し合える」
という希望が、まっすぐに差し込んできたのだと思います。

一方で、ズートピア2は、その語り口を大きく変えています。

もちろん、笑える場面やユーモアは健在です。
けれど全体を包む空気は、
どこか静かで、張りつめていて、
観ているこちらが自然と背筋を伸ばしてしまうような感覚があります。

私はこの違いを、
「暗くなった」とは感じませんでした。
むしろ、現実に近づいたのだと思っています。

ズートピア2が描いているのは、
問題を一度解決した“その後”の世界です。

差別はいけない。
それはもう、誰もが知っている。
それでも、すれ違いは起こり、
無意識の偏りは、静かに残り続ける。

だからこの続編は、
「問題は終わらない」
という前提から、物語を組み立てています。

脚本的にも、
はっきりとした敵役を置かず、
観る側が自分の立場を揺さぶられるような構造が選ばれています。

そのため、観終わったあとに残るのは、
前作のような爽快なカタルシスではなく、
「この感情を、どう受け止めればいいのだろう」
という小さな戸惑いです。

この違和感こそが、
ズートピア2という続編の核心であり、
次に深掘りしていくテーマ考察へと、
自然につながっていく感情なのだと思います。


ズートピア2は面白い?つまらない?正直な感想

この問いに、
はっきりとした「正解」はありません。
それはズートピア2が、
観る人の立ち位置によって、まったく違う表情を見せる映画だからです。

私自身、初めて観たときは、
「面白かった」と即答するより先に、
胸の奥に小さな引っかかりが残りました。

でもその引っかかりは、
時間が経つほどに、
「もう一度考えてみたい」という感情に変わっていったのです。

ズートピア2を「面白い」と感じやすい人には、
いくつかの共通点があります。

  • 社会的なテーマや、人と人との関係性を考えるのが好き
  • 物語に、明確な答えや結論がなくても受け止められる
  • 前作と同じ感動を、必ずしも求めていない

こうしたタイプの人にとって、
この映画は「楽しむ」というより、
静かに向き合う作品として、心に残りやすいはずです。

一方で、物足りなさを感じる人がいるのも、
とても自然なことだと思います。

  • 前作の爽快感やカタルシスが強く印象に残っている
  • 勧善懲悪で、感情がスッと晴れる物語が好き
  • 映画には、明るく気持ちのいい終わり方を期待している

そうした期待を持っていると、
ズートピア2の静かな語り口や、
感情の着地しない終わり方に、
肩透かしを感じてしまうかもしれません。

ただ一つ、はっきり言えることがあります。

これは“質が落ちた”映画ではありません。
“向いている方向が変わった”映画なのです。

前作が「希望を信じる物語」だったとすれば、
ズートピア2は、
希望を信じ続けることの難しさを描いた物語。

面白いか、つまらないか。
その答えは、
この映画を観るあなた自身の“今”によって、
きっと変わってくるのだと思います。


ズートピア2は子ども向け?大人向け?

まず前提として、
ズートピア2はアニメーション作品としての完成度がとても高く、
テンポや映像の楽しさという点では、
子どもでも十分に引き込まれる力を持っています。

キャラクターの動きや表情、
街のディテール、
ところどころに挟まれるユーモア。
それらは、難しいことを考えなくても、
自然と「楽しい」と感じられるよう丁寧に作られています。

ただし、この物語の核心に触れたとき、
受け取り方は大きく分かれるはずです。

ズートピア2が描いているのは、
はっきりとした善悪や、
わかりやすい勝ち負けではありません。

沈黙が流れる瞬間。
言葉にしなかった選択。
「正しいはずなのに、何かが噛み合わない」という感覚。

こうした感情は、
学校や社会の中で、
一度でも立ち止まった経験のある大人だからこそ、
強く胸に残るものだと思います。

私自身、
子どもと大人が同じアニメ映画を観て、
まったく違う感想を持つ場面を、何度も見てきました。

ズートピア2も、まさにそのタイプの作品です。
子どもは出来事そのものを追い、
大人はその裏にある感情や空気を受け取る。

親子で観た場合、
同じシーンを指して、
「ドキドキした」「ちょっと怖かった」と言う子どもと、
「苦しかった」「考えさせられた」と感じる大人が、
同時に存在するかもしれません。

ズートピア2は、
どちらか一方に向けて作られた映画ではありません。
年齢や立場によって、
受け取る層が自然と変わっていく作品です。

だからこそ、
「子ども向けか、大人向けか」という問いよりも、
「今の自分には、どう響くのか」
という視点で観ることが、
この映画を一番素直に味わう方法なのかもしれません。


なぜズートピア2は“賛否が分かれる”のか

ズートピア2を観終えたあと、
胸の奥に、はっきりと言葉にできない感情が残った人は、
きっと少なくないはずです。

すっきりしない。
安心できない。
「これでよかったのだろうか」と、
小さな問いが頭から離れない。

この映画が賛否を呼ぶ理由は、
まさにそこにあります。
ズートピア2は、観客を“安心させる設計”をしていないのです。

多くのエンターテインメント作品は、
物語の最後に、何らかの答えや救いを用意します。
それがあることで、
私たちは安心して劇場を後にできる。

けれどズートピア2は、
その“出口”を、あえて曖昧なままにしています。

問題は完全には解決されず、
誰かがすべてを救うわけでもない。
残るのは、
それぞれが抱えたまま持ち帰る感情です。

私はこれまで、
社会的なテーマを扱った映画を数多く観てきましたが、
評価が割れる作品ほど、
現実に近い場所を描いていることが多いと感じています。

現実の社会もまた、
明確な結論や、
全員が納得できる救いを、
簡単には用意してくれません。

わかり合えたと思った翌日に、
また別のすれ違いが起こる。
前に進んだはずなのに、
足元が揺らぐ。

ズートピア2が映しているのは、
そうした終わらない現実です。

だからこの映画は、
「答えを教えてくれる作品」ではありません。

むしろ、
考え続けることを、やめさせない映画です。

その姿勢に誠実さを感じる人もいれば、
「もっと分かりやすくしてほしかった」と感じる人もいる。
そのどちらも、間違いではありません。

賛否が分かれるという事実そのものが、
この映画が、
観る人一人ひとりに違う問いを投げかけている証なのだと、
私は思います。


ズートピア2はこんな人におすすめ

この映画は、
「誰にでも無条件でおすすめできる作品」ではありません。
けれどその代わり、
今の自分の感情に、静かに重なる人にとっては、
長く心に残る一本になるはずです。

たとえば、前作『ズートピア』を観たとき、
単なるエンターテインメントとしてではなく、
社会や人間関係について考えさせられた記憶がある人。

あるいは、
アニメーションであっても、
子ども向け・大人向けという枠を超えた、
感情の深い物語を求めている人。

そして、映画を観終えたあと、
すぐに答えを出すよりも、
「なぜ、あの場面が引っかかったのか」
「自分は、どこで息苦しさを感じたのか」
そんなことを、少しのあいだ考えていたい人。

  • 前作を観て、社会的なテーマに心を動かされたことがある
  • 大人向けアニメーションや、余白のある物語が好き
  • 映画を“観たあと”も、自分なりに咀嚼したい

もしあなたが、
「なぜこんなにもモヤモヤが残るのだろう」
「前作と、何が決定的に違ったのだろう」
そんな問いを、すでに心のどこかで抱えているなら――

その感覚は、間違っていません。
むしろ、この映画が、
あなたにきちんと届いた証だと思います。

次の記事では、
ズートピア2が描いた“テーマと心理”を、
物語の感情の流れに沿って、
もう一歩だけ深く読み解いていきます。

👉
ズートピア2考察|続編が描いたのは“偏見の克服”ではなく共存の痛みだった

この街で感じた違和感を、
ひとりで抱えたままにしなくていい。
そんな気持ちで、次の扉を開いてもらえたら嬉しいです。


ズートピア2を“息苦しい”と感じるのはなぜ?

「息苦しい」と感じた人は、映画を“楽しめなかった”わけではありません。
その感覚はむしろ、とても誠実な反応だと思います。
私たちの心は、危険を察知したときだけでなく、
「簡単に答えを出せない状況」に置かれたときにも、そっと呼吸が浅くなるからです。

映画には、観客の心拍を上げる瞬間と、下げる瞬間があります。
一般的なエンターテインメントは、上がった心拍を「解決」や「勝利」でなだめて、
すっきりした気持ちで劇場を出られるように設計されています。

けれどズートピア2は、その“なだめ方”がとても慎重で、
ときに、少し意地悪にすら見える。
正確に言うなら、観客を早く安心させない選択をしているのです。

たとえば、誰かの正しさが語られた直後に、
別の誰かの正しさが、同じ温度で静かに並べられる。
観客は反射的に「どちらが正しいの?」と判断しようとします。
でも映画は、その瞬間には答えをくれない。
答えを先延ばしにされることは、想像以上に疲れます。

それは、私たちが日常で経験している疲れに似ています。
会議での沈黙、すれ違う言葉、善意なのに噛み合わない対話。
「ちゃんとしなきゃ」と思うほど、心は固くなっていく。
その固さが、胸の奥で“息苦しさ”として立ち上がってくるのです。

ここが、脚本の技術としてとても高度なところだと感じます。
ズートピア2は、単に“快”を取り上げるのではなく、
観客の中に「保留」という感情を住まわせる
そして、その感情が生活に戻っても消えないように、
やわらかく、しかし確実に残していく。

私はこれまで、観終わった直後に評価を決められない映画ほど、
数日後にふと効いてくることが多いと感じてきました。
洗い物をしているとき、電車の窓を眺めているとき、
突然「あの場面って、そういうことだったのかもしれない」と思い出す。
それは、映画が「思考の続きを観客に渡している」からです。
ズートピア2も、まさにそのタイプでした。

ポイント
「息苦しい」はネガティブな失敗ではなく、
“答えのない現実に近づいたときに起こりやすい反応”です。
すぐに結論を出せない感情が残ったなら、
それはこの映画が、あなたの中の“考える力”に触れた証かもしれません。


ジュディとニックは“成長”したのか――続編が選んだ大人の描き方

前作の二人は、わかりやすい意味で成長していました。
夢を掴み、偏見に立ち向かい、信頼を勝ち取る。
その軌跡は、観客にとっても「希望の形」として残っていたと思います。

だからこそ、続編で二人の空気が少し変わったとき、
「あれ?」と胸の奥がざわつく人もいるかもしれません。
でも私は、その変化を“後退”だとは感じませんでした。
むしろ、大人になることの静けさが、そこにありました。

続編が描こうとしているのは、別の種類の成長です。
それは「強くなる」ではなく、
“複雑さに耐えられるようになる”という成長。

大人になると、正しさはいつも一つではないと知ります。
そしてそれは、知識の問題というより、感情の問題です。
たとえば――
「相手の事情はわかる。でも自分も苦しい」
「折れたくない。でも壊したくもない」
そういう矛盾を抱えながら、それでも関係を続けなければならない。

この“矛盾に耐える時間”は、派手ではありません。
けれど、人生の中でいちばん心をすり減らすのは、案外そこだったりします。
私も、仕事や人間関係の中で、
「正しいことを言ったのに、誰も幸せにならなかった」瞬間に出会ったことがあります。
あのときの、言葉が宙に浮いた感覚。
その感触が、ズートピア2の二人の沈黙に、少しだけ重なりました。

ジュディとニックの空気が前作より静かに見えるのは、
たぶん彼らが“軽々しく言えないこと”を増やしたからです。
信頼を得たからこそ、言葉は重くなる。
守りたいものが増えたからこそ、簡単に踏み込めなくなる。
その変化は、成長の証であり、同時に痛みでもあるのだと思います。

私が続編で好きなのは、キャラクターが完璧にならないところです。
正しいことを言っても、正しい結果にならない。
そのたびに揺れる。迷う。ときに黙る。
そして、その“黙り方”にこそ、彼らが背負っているものが見えてくる。
それが、映画の外にいる私たちの毎日に、とても近いのです。

前作の成長が「夢を叶えること」だったとしたら、
続編の成長は「夢を叶えたあとも、誠実でい続けること」。
その誠実さは、華やかではないぶん、観客の心に静かに残ります。

見どころの観点
“できるようになったこと”よりも、
“できなくなったこと”に目を向けると、続編の温度が見えてきます。
ためらい、沈黙、言葉の選び方――その小さな変化が、二人の成長を物語っています。


映像と色の“心理”――ズートピア2が言葉の代わりに語るもの

ズートピア2の印象を振り返るとき、
私の中にはいつも「空気」という言葉が浮かびます。
それは、物語を理解するよりも先に、
映像が感情へと直接触れてくる瞬間が、何度もあったからです。

映画において、映像は単なる背景ではありません。
ときにセリフ以上に雄弁で、
観客の心に「今、どう感じればいいのか」を、
そっと先回りして伝えてきます。

前作『ズートピア』は、色がよく跳ねる映画でした。
街の賑やかさや光の強さが、
そのまま希望の温度として伝わってくる。
観ているこちらの心拍まで、自然と上がっていくような映像です。

でも続編は、同じ街を映しているはずなのに、
ふとした瞬間、輪郭が少し落ち着いて見えることがあります。
それは暗いというより、
感情の彩度を、意図的に下げた表現に近い。

私たちが現実で「言葉を選ぶ」とき、
心は少しだけ慎重になります。
空気を読む。間を取る。
相手の表情を確かめながら、慎重に踏み出す。
そのとき、世界はどこか硬く、色数が減ったように感じられる。

ズートピア2の映像には、
その「慎重さの質感」が、はっきりと映り込んでいました。
明るいはずの場所が、ほんの少しだけ硬い。
それだけで観客は、
「何かが、うまく言葉にされていない」と直感してしまうのです。

映像表現には、“感情の予告”という機能があります。
セリフで説明される前に、
色や光、影の差し方が、すでに心に触れている。
だからズートピア2は、説明が少ないのに、
観ているこちらが少し疲れることがある。

それは、映画が不親切だからではありません。
むしろ、映像がずっと先に感情を動かしているからです。
頭で理解する前に、
心のほうが先に反応してしまう。
そのズレが、観客に小さな負荷として残る。

「わかりやすい物語」を求めると、
この説明の少なさは、不親切に映るかもしれません。
けれど「感じる映画」として受け取るなら、
続編の映像設計は、とても誠実です。

言葉にできない部分を、色と光で補う。
登場人物が口にしなかった感情を、
背景のトーンや影の揺れで、そっと伝える。
その静かな努力が、
ズートピア2の画面の隅々に、確かに宿っています。

もし観終わったあと、
「何があったか」よりも、
「どんな空気だったか」のほうが強く残っているなら、
それはこの映画が、
ちゃんと映像で語りかけてきた証なのだと思います。


親子で観るなら、観たあとが本番――“会話”でやわらげる鑑賞体験

子どもと一緒に映画を観るとき、
本当の意味での「本番」は、上映中ではなく、
劇場を出てから始まることがあります。
とくにズートピア2のように、答えを一つに定めない物語は、
観たあとの会話によって、映画の印象そのものが変わっていくのです。

私がよくおすすめしているのは、
観終わった直後に「解説」をしないこと。
大人が善意で「これはこういう意味なんだよ」と説明してしまうと、
子どもが心の中で感じかけていた感情の芽が、
ふっと萎んでしまうことがあります。

代わりに置いてみてほしいのは、
答えを求めない質問を、ひとつだけ
それだけで、子どもは「考えていい」「感じていい」と、
安心して自分の言葉を探し始めます。

観たあとに使える質問例
・いちばんドキドキしたところは、どこだった?
・好きだったキャラクターは誰?(理由まで聞けたら◎)
・もし自分がその場にいたら、どうしたと思う?
・“モヤモヤ”って、どんな感じだった?

ここで大切なのは、
正解を当てることでも、
大人の理解に近づけることでもありません。
感情を、言葉にしてみることそのものが、価値なのです。

子どもは、目の前で起きた出来事を拾います。
走った、逃げた、怖かった、楽しかった。
一方で大人は、言葉にされなかった空気や、
登場人物の沈黙、選ばれなかった選択に目を向ける。
その違いを、良し悪しで分ける必要はありません。


同じ映画を観たのに、まったく違うものを受け取っている

その事実そのものが、実はとても豊かな体験なのだと思います。

そしてもし、大人のあなた自身が、
映画の重さや余韻に少し疲れてしまったなら、
無理に“理解しよう”としなくていい。
代わりに、「私は、どう感じたんだろう」と、
そっと自分に問いかけてみてください。

感じたことは、間違えようがありません。
言葉にならなくても、それでいい。
その安心感が、ズートピア2という作品を、
「考えさせられる映画」から、
「一緒に味わえる映画」へと、
少しだけやわらかく変えてくれるはずです。


よくある質問(FAQ)――観る前・観た後の“迷い”に寄り添う

作品について語るとき、
どうしても「正しい受け取り方」を探してしまうことがあります。
でもズートピア2は、その問いにすぐ答えをくれない映画です。
だからこそ生まれる、観る前の不安や、観た後の迷い。
ここでは、よく聞かれる声に、少しだけ立ち止まりながら向き合ってみます。

Q. 前作を観ていなくても楽しめますか?

物語の筋を追うこと自体は、問題なくできると思います。
ただ、ズートピア2は「事件が起きて解決する」タイプの続編ではなく、
前作の経験を背負った登場人物たちの“空気の変化”を味わう場面が多い映画です。

もし時間が許すなら、前作を先に観ておくと、
続編で感じる静けさや距離感の意味が、より鮮明になります。
「何が変わったのか」ではなく、
「どう変わってしまったのか」が、自然と見えてくるはずです。

Q. 子どもが怖がるシーンはありますか?

はっきりした恐怖表現は多くありません。
ただし、子どもが不安を感じやすいのは、
危険そのものよりも、空気の緊張や登場人物の表情だったりします。

大人が「大丈夫だよ」と言うよりも、
観たあとに「一番ドキドキしたところ、どこだった?」と聞いてあげると、
子どもは自分の中の不安を言葉にしやすくなります。
言葉にできた瞬間、不安は少しだけ輪郭を失っていきます。

Q. 観終わったあと、モヤモヤしてしまいました。これって普通ですか?

とても普通です。
むしろズートピア2は、モヤモヤを残すことそのものを、物語の一部として設計しているように感じます。

私自身、観終わってすぐは言葉にできず、
数日後にふと「なぜ、あの場面が引っかかったのだろう」と考え直したことがありました。
すぐに結論を出そうとせず、
「何が気になったのか」をメモに残すだけでも、
感情は少しずつ整理されていきます。

Q. 評価が割れる作品は、結局“良い映画”ではないのでしょうか?

私は、むしろ逆だと感じています。
評価が割れるということは、
作品が観る人の価値観や経験に、強く触れているという証拠でもあるからです。

全員に同じ形で届く映画は、安心感があります。
でもそのぶん、心の深いところまでは届きにくいこともある。
ズートピア2は、届く場所をあえて選んだ作品です。
だからこそ、賛否が生まれた。
その事実自体が、この映画の誠実さを物語っているように思います。


まとめ:ズートピア2は“答え”ではなく、“続き”を渡してくる

ズートピア2は、観終わった瞬間に
「すべてを理解した」と言わせてくれる映画ではありません。
けれどその代わりに、

観る人それぞれの中に、“続きの時間”をそっと残していく

その余白こそが、この作品のいちばん誠実なところだと感じています。

それは、少し不親切で、でも確かにやさしい。
物語の中で答えを提示するのではなく、
「考える力を、観客に返す」ような映画です。
私はこれまで、たくさんの作品を観てきましたが、
本当に長く心に残るのは、
いつも、こうして思考を手放さなかった映画でした。

スクリーンの中で完結してしまう物語は、
その場では気持ちいい。
でもズートピア2は、
映画館を出たあと、日常の中でふと立ち止まらせてくる。
電車の中、仕事の合間、何気ない会話の途中で、
「あのとき、あのキャラクターは何を選ぼうとしていたのだろう」
そんな問いが、静かに浮かび上がってくるのです。

もし今も、胸の奥に小さなざわつきが残っているなら、
それは決して、理解が足りなかったからではありません。

あなたの感受性が、ちゃんと映画に触れた証
です。

すぐに片づけなくていい。
無理に結論を出さなくてもいい。
そのざわつきを、少しだけ大事に持ち帰って、
あなたの日常のどこかで、
ふとした瞬間に、そっと開いてみてください。

そのとき初めて、
ズートピア2という映画は、
あなたの人生の時間の中で、
もう一度、静かに息をし始めるのだと思います。

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