何もしたくないお正月に観る映画|考えなくても、心がほどける物語たち

洋画
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お正月なのに、何もしたくない。
出かける気力も、誰かに会う元気も湧いてこない。
テレビをつけるのさえ、少し億劫に感じる。

でもそれは、怠けているからでも、気合が足りないからでもありません。
一年を走り切った心が、ようやく立ち止まって、
「もう少し、何も考えずにいさせて」と小さな声を出しているだけ。

私自身も、仕事や取材が重なった年のお正月に、
映画が好きなはずなのに、
「何かを観る」という行為そのものが重たく感じたことが何度もあります。

画面を見つめて、物語を理解して、感想を抱く。
その一連の流れすら、今は休ませたい。
そんな状態でした。

だからこそ、断言できます。
そんなお正月に必要なのは、
前向きな言葉でも、新しい目標でもありません。

必要なのは、
考えなくても、ただ流れていく映画が一本あること。
途中で意識が途切れても、
物語を追えなくなっても、
それでも成立する作品です。

脚本の構造的に見ると、こうした映画には共通点があります。
大きな起伏をつくらず、説明を急がず、
観る側の理解力や集中力を試さない。

画面に映るのは、
誰かの日常や、淡々とした時間、
そして、意味づけされすぎない感情。

そうした映画は、
観る人の心に入り込むというより、
そっと横に座ってくれる存在に近いのだと思います。

もし今、
誰とも話さずに過ごしたい気分なら、
無理に気持ちを上向かせようとしなくていい。

同じ温度で、静かに時間を共有してくれる作品として、

一人で迎えるお正月、女性のための映画

も、きっと今の心に合うはずです。

お正月は、何かを始めるための時間じゃない。
何も始めなくていいと、
自分に許可を出すための時間なのだと思います。


なぜお正月に「何もしたくなくなる」のか

年末という時間は、思っている以上に、私たちの心を消耗させます。
仕事の締め切り、終わらせなければならない雑務、
断りきれない付き合い、帰省や行事の段取り。

それに加えて、年末年始には、
「楽しんでいる自分でいなければならない」
「ちゃんと幸せそうにしていなければならない」
そんな目に見えない期待が、静かに積み重なっていきます。

私自身、取材や原稿に追われた年末を越えてお正月を迎えたとき、
何かをしたい気持ちよりも先に、
「もう、これ以上なにも入ってこないでほしい」という感覚が
心の奥から浮かんできたことがありました。

そのとき初めて、
何もしたくない、という気持ちは、
気力の欠如ではなく、

心が自分を守るためにかけているブレーキ

なのだと腑に落ちたのです。

心理学的に見ても、
強い緊張状態が続いたあと、人は自然と「刺激を減らす方向」に向かいます。
何も見たくない、考えたくない、決めたくない。
それは、心が回復のフェーズへ移行している証拠です。

だから、お正月に訪れる「何もしたくない」という感情は、
決して異常でも、怠慢でもありません。

心がきちんと働いているサイン

なのだと思います。

何もしないことは、止まることではありません。
見えないところで、
感情や思考が、静かに整え直されている時間。

お正月の何もしない時間は、
前に進むための助走でも、立て直しでもない。

ただ回復するためだけに、存在していい時間

なのだと思います。


「何もしたくない時」に向いている映画の条件

もし今、映画ですら少し重たく感じるなら、
無理に「一本を観よう」としなくて大丈夫です。

もっと力を抜いて、
画面を“流しておく”くらいの距離感で過ごしたいなら、

こたつでぼーっと観たいお正月ドラマ

という選択も、今の心にはとても自然です。

そもそも、お正月に観る映画すべてが、
今のあなたに合う必要はありません。

疲れている時の心は、
「面白さ」や「感動」よりも先に、

これ以上、負荷をかけないこと

を求めています。

私自身、取材や原稿が立て込んだ年のお正月に、
評判の良い作品を再生しては、
途中で止めてしまった経験が何度もあります。

そのとき感じたのは、
作品の良し悪しではなく、
「今の自分に、その映画を受け取る余白があるかどうか」でした。

何もしたくない時に向いている映画には、
いくつか共通した特徴があります。

① ストーリーを追わなくても大丈夫

伏線や展開を必死に追わなければならない映画は、
知らないうちに、脳を働かせてしまいます。

途中から観ても、
少し目を閉じても、
それでも物語が成立する。

脚本的に言えば、
「情報量が少なく、感情の流れが単純な構造」。
それが、心を休ませてくれる映画の条件です。

② 音と映像がやさしい

大音量の音楽や、
目まぐるしいカット割りは、
意識していなくても、心拍を上げてしまいます。

風の音、街の遠景、
人の動きがゆっくりと映し出される画面。
そうした映像は、それだけで呼吸を整えてくれます。

③ 感情を大きく揺さぶられない

無理に泣かせに来る映画でなくていい。
人生を変えるようなメッセージも、今は必要ありません。


「今日は、何も起きなくていい」

その感覚を、素直に受け取れる作品こそが、
何もしたくないお正月には、いちばん似合います。


何もしたくないお正月に観る映画7選

ここで紹介する映画は、
「名作だから」「評価が高いから」という理由で選んでいません。

お正月に、ゆるく観られること。
途中で眠ってしまっても、
目を覚ましたとき、物語に置いていかれないこと。

そして何より、

「ちゃんと観なきゃ」と思わなくていいこと

私自身、疲れきったお正月にこれらの作品を流しながら、
画面を半分だけ眺めたり、
いつの間にか眠ってしまったりしたことがあります。

それでも不思議と、
目を覚ましたあと、
心だけは少し軽くなっていました。

ここから挙げる7本は、
そんな時間の使い方を、
ちゃんと許してくれる映画たちです。

① リトル・ミス・サンシャイン

完璧じゃない家族が、
一台の車に乗り込んで、
不器用に、でも確かに前へ進んでいくロードムービー。

この映画がやさしいのは、
誰かの成功を、無理に祝福しないところです。

夢を叶える人より、
失敗して立ち尽くす人に、
カメラがちゃんと時間を割いてくれる。

脚本構造としても、この作品はとても静かです。
明確な「勝ち」や「成長」をゴールにせず、
家族それぞれの欠けた部分を、
無理に修復しようとしない。

だから観ている側も、
「ちゃんとしなきゃ」という気持ちを、
そっと脇に置くことができます。

お正月にこの映画を観ると、
人生はいつも整っていなくていい、
家族も、自分も、
どこか歪んだままでいいのだと感じられます。

何もしたくない時に、
「それでも、今ここにいていい」と、
小さく肯定してくれる一本です。

② かもめ食堂

この映画には、いわゆる「物語らしい事件」がほとんど起きません。
大きな対立も、劇的な転換もない。
あるのは、食べること、話すこと、そして時間が過ぎていくこと。

けれど、お正月に「何もしたくない」と感じている心には、
その何も起こらなさが、驚くほどやさしく作用します。

私自身、忙しさが続いた年の正月に、
この映画をBGMのように流していたことがあります。
画面をきちんと見ていない時間のほうが、むしろ長かった。

それでも、コーヒーを淹れる音や、
ゆっくり交わされる会話のリズムが、
不思議と部屋の空気を整えてくれました。

映画として見ると、
この作品は「感情を動かす」よりも、

感情を落ち着かせるための設計

が徹底されています。

お正月の、
何もしない空気と、何も求められない時間。
その中に、この映画はとても自然に溶け込みます。

③ アバウト・タイム

人生をやり直せる、という設定を聞くと、
つい「前向きな映画」を想像してしまいがちですが、
この作品は、意外なほど肩の力が抜けています。

未来を変えることよりも、
日常をやり過ごすこと。
完璧な一日を目指すのではなく、
うまくいかなかった日も、そのまま抱えて帰ること。

私がこの映画をお正月に観て、
いちばん印象に残ったのは、
「今日をちゃんと生きよう」と背中を押してこないところでした。

ただ流して観ているだけなのに、
どこかで、時間そのものが愛おしくなる。
それは、説教でも感動の押し売りでもありません。

脚本的には、
ファンタジー設定を使いながらも、
感情の着地点を、常に「日常」に戻しているのが特徴です。

何もしたくないお正月に、
「ちゃんと生きる」ことを考えなくていい。
それだけで、この映画は十分にやさしい。

④ プール

この映画を観ていると、
台詞よりも先に、音が心に残ります。

風が通り抜ける音、
水が揺れる音、
誰かがそこに「いる」気配。

物語として見れば、
大きな出来事はほとんど起きません。
けれど、その「何も起こらなさ」が、
何よりの魅力になっています。

映画は、ときに情報を削ぎ落とすことで、
観る側の呼吸を、自然と整えてくれます。

この作品もまた、
感情を揺さぶるのではなく、

何も起こらない時間を、心地よいものとして提示する

ことに徹しています。

お正月に、
何もせず、何も考えず、
ただ時間が流れていく感覚を取り戻したいとき。

この映画は、
「それでいい」と、言葉ではなく空気で伝えてくれる一本です。

⑤ シェフ 三ツ星フードトラック始めました

何もしたくないお正月でも、
ふと「お腹がすいたな」と感じる瞬間があります。
この映画は、そんな小さな感覚に、やさしく寄り添ってくれます。

物語はとても軽やかで、
深刻な葛藤や重たい展開はありません。
ただ、美味しそうな料理と、
人と人との距離が、少しずつ縮まっていく様子が描かれます。

私自身、気力が落ちきっていた年のお正月に、
この映画を流していて、
観終わる頃には、台所に立つ気持ちが戻ってきたことがありました。

映画として見ると、
この作品は「再起」の物語でありながら、
その過程を決して急がせません。

だからこそ、観ている側も、
無理に前向きにならなくていい。
気づけば少し元気になっている、
そんなやさしい副作用だけが残ります。

⑥ パターソン

同じ時間に起きて、
同じ道を歩き、
同じ仕事をして帰る。

この映画の主人公の日々は、
驚くほど単調です。
けれど、その単調さが、
なぜか心を静かに整えてくれます。

正月休みの朝、
まだ外が静かな時間に、
この映画を流しておくと、
一日の輪郭が、ゆっくりと浮かび上がってきます。

脚本構造としても、この作品は特異です。
成長や変化を物語の中心に置かず、
「変わらないこと」そのものを、肯定していく。

何もしたくない時に、
「何もしない毎日も、悪くない」と思わせてくれる映画は、
実は、とても貴重です。

⑦ 海よりもまだ深く

人生は、思っていた通りには進まない。
その事実を、
これほど静かに描いた映画は、そう多くありません。

主人公は、成功からも、理想からも、
ほんの少しずつ、ずれてしまった人物です。
けれどこの映画は、そのずれを、決して断罪しません。

私自身、この作品を観たお正月、
「もっとこうなっていたはずの自分」を、
そっと手放せた感覚がありました。

是枝監督の作品に共通するのは、
人生の途中にある停滞や後悔を、
無理に乗り越えさせようとしない姿勢です。

この映画もまた、
「それでも、生きている」という事実だけを、
静かに差し出してくれます。

何もしたくないお正月に、
自分を責めずにいられる映画があること。
それは、とても心強いことだと思います。


こたつ・夜・一人時間…シチュエーション別おすすめ

お正月の「何もしたくない」は、
実は一つの形ではありません。

こたつに入っているとき。
夜、眠くなるまでの時間。
誰とも会わず、一人で過ごす一日。

そのときどきで、
心が求める映画の距離感も、少しずつ変わっていきます。

こたつでぼーっと観たい映画

こたつに入っていると、
画面を集中して見続ける、という姿勢そのものが難しくなります。

そんなときに向いているのは、
ストーリーを追わなくても成立する映画。
会話の間や、部屋の空気感が、
そのまま心地よさになる作品です。

私自身、こたつで映画を流しているときは、
画面よりも、音や沈黙のほうを受け取っている気がします。

何を観たか、よりも、
「どんな時間だったか」が残る映画。
それが、こたつ時間にはいちばん似合います。

夜、眠くなるまで流しておきたい映画

夜になると、
昼間は抑えていた疲れが、静かに表に出てきます。

この時間に選びたいのは、
結末を知らなくても困らない映画。
眠くなったら、そのまま夢に入ってしまっても、
置いていかれない作品です。

映画を「最後まで観る」ことを、
今日は目標にしなくていい。
むしろ、眠りに向かうための、
やさしい背景音として存在してくれる映画が理想です。

私はよく、
エンドロールの途中で意識が途切れて、
朝になってから続きを思い出せないことがあります。
でも、それでいい夜も、確かにあります。

一人で迎えるお正月に

一人で迎えるお正月は、
自由であると同時に、
どこか心細さも連れてきます。

そんなときに向いているのは、
孤独を埋めようとしない映画です。

無理に寄り添わず、
励ましもせず、
ただ「一人でいる時間」を、そのまま肯定してくれる。

映画が誰かの代わりになる必要はありません。
ただ、同じ空間に、同じ時間を流してくれる存在であればいい。

一人で迎えるお正月に観る映画は、
孤独を消すためではなく、

孤独と一緒にいられる心の余白

を、そっと広げてくれるものが向いています。


観終わったあと、何も変わらなくていい

映画を観たからといって、
前向きにならなくていい。
明日からの人生を、考え直さなくてもいい。

何かを学ばなくても、
教訓を持ち帰らなくても、
「いい時間だった」と言えなくてもいい。

私自身、取材や執筆を続ける中で、
たくさんの映画を観てきましたが、
今でも一番助けられたのは、
何も変えようとしない映画たちでした。

観終わったあと、
ただ少し、呼吸が深くなった。
肩に入っていた力が、いつの間にか抜けていた。

それだけで、
その映画時間は、もう十分に意味があったのだと思います。

心理的に見ても、
強い刺激や変化より、

安全で穏やかな時間

こそが、心を回復させます。

何もしたくないお正月は、
何も生まない時間ではありません。

それは、
次に動くための準備期間でも、
立て直すための時間でもなく、


ただ、心が回復するためだけに存在していい時間

なのだと思います。


もし今夜、
何かを選ぶ気力が残っているなら、


Amazon Prime Video



Netflix


の画面を、ただ眺めてみるだけでもいいと思います。

観なくてもいいし、
途中でやめてもいい。
今日は「どんな物語があるか」を知るだけで、十分です。

※配信状況・作品ラインナップは変更される可能性があります。
本記事は、特定のサービスや作品の視聴を強制するものではありません。
参考:映画.com / IMDb / Rotten Tomatoes

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